光を感じて瞼を開ける。と、同時に鈍痛が頭に響いた。暗かった視界に飛び込んでくる景色と光にさえ目眩がして、反射的に開いた目を瞑ってしまう。身体に意識を向ければ、気だるさと不快な熱が感じられた。
「風邪か……」
珍しいな、と思いながらも回る視界に鞭を打ってベッドサイドの時計を見れば、もう昼に差し掛かる頃合いだった。
「しまった……」
今日はかれと会う約束をしていたはずだ。せめてライブキャスターで連絡を取らなければと手を伸ばすが、いつもの場所にそれがない。またチョロネコの仕業だろうか。起き上がろうにも寝返りを打つだけで頭が揺れるように痛む。どうしたものかと考えているうちに、思考が微睡に沈んでいった。
「ンナァーン!」
「っ……」
甲高い声が脳に響いて目を覚ます。うっすらと目を開ければ、視界いっぱいにチョロネコの顔が映り、鼻先を舐められる。かのじょが退いた先にはチカチカと光るライブキャスターが転がっていた。
「ンナンナ!」
「ああ……」
「ナァン!」
「っ、ちょっと……まってくれ」
早く取れと急かすかのじょの声が頭蓋を揺らす。ズキズキとした痛みは先ほどより病状が悪化していることを物語っていた。何かを伝えようとしているのだろう、鳴き止まないチョロネコの声が急所にあたるように強く意識に突き刺さる。勘弁してほしいが今は小言すらままならない。
「ンアォ」
「ンナッ!」
よく似た低い鳴き声がひとつ聞こえた。それと共にチョロネコの声が段々と遠くなる。どうやらレパルダスが連れて行ってくれたらしい。ありがたいと思うと同時に、ピンポーンというチャイムの音が聞こえた。
トウヤだ。
時計は見ていないが待ち合わせの時間をとうに過ぎていることは明白だ。生真面目なかれのことだ、心配して家までやってきてもおかしくはない。だが、正直起き上がるどころかライブキャスターの画面を見ることさえ億劫だった。いくらかれとはいえ、応答がなければ諦めて帰っていくだろうと思いながら意識が再び暗闇の中へと落ちていくのに抗えず、瞼を閉じた。
「ギーマさん?」
「!」
ハッと顔を上げれば、心配そうなトウヤの顔がそこにあった。
「な、な……」
「ええと、レパルダスが鍵を開けてくれて」
驚きでうまく言葉が紡げないわたしに、トウヤが申し訳なさそうに答える。思わず視界にいるレパルダスを睨んだが、かのじょはどこ吹く風といったように前脚を舐めていた。
「ギーマさん、大丈夫?ちょっと、ごめんね」
ひたり、とトウヤの手が額に触れる。わたしより体温が高いであろうかれの手が、今は心地よいくらいに冷たく感じた。
「わ、すごい熱。まってて、お薬もらわなきゃ」
するりと離れていく手。思わず「あ……」と声が口から溢れてしまう。静かな部屋でそれはかれの耳にも届いたのだろう。トウヤが少し驚いたような顔でこちらを見る。
「ギーマさん?」
「い、や……なんでも、ないぜ……」
恥ずかしさに風邪とは違う熱が顔にのぼる。だめだ、調子が悪い。いつものわたしをすることができない。かれの前では、格好のつかないところは見せたくないのに。嫌な感情が頭を埋めて、かれの顔を見ることができない。
ぺたり。
「っ!?」
「大丈夫。ぼく、ここにいるよ」
頬に添えられた手が優しくわたしの肌を撫で、滲んだ汗を拭っていく。まぶたにかかる乱れた髪をゆっくりと梳かし揃えてくれるその手に、心の冷えた部分を温かく包まれているような心地さえした。
けれど、少し回るようになった頭は、今の自分があまりにも普段とかけ離れた姿であること、その上、いつも家をクリーニングしてから招いていたかれに整っていない室内を見られたことに思い至って、思わず顔を掛布に埋めてしまう。
「ごめん、いやだったかな」
おずおずとかれの手が離れていくのを感じる。
ちがう、と思いながら、幻滅を恐れた身体は言葉を紡ぐことができなかった。
痛いほどの沈黙が降りた。
かれがなにも言わないことが、こんなに恐ろしいとは思わなかった。かれも、離れていくだろうか。優しいかれのことだ。傷つけないようにそっと距離を取っていくのかもしれない。大丈夫。少し眠れば、いつものわたしでいられる。いつもの、わたしに。
ガサリ。
「あ。ありがとう」
布越しに何かの物音と、トウヤの声が聞こえた。その声音の変わらなさに安堵がよぎった瞬間。
「失礼するね」
「!?」
ガバリと容赦なく被っていた掛布が捲られて、驚きのあまり固まってしまう。
「お薬、飲まないとだから」
「……!」
そう言うかれの顔は、至っていつも通りだ。だが、そこににじむ痛みがわたしの目を捉えた。掛布を握る、決してこちらに触れないようにしながら震える手も。
「……トウヤ」
「!、どうしたの」
「起こしてくれないかい」
「え、でも……」
「きみに、起こしてほしいんだ」
だめかい、と我ながら卑怯な手口だなと思いつつ眉根を下げてかれに手を伸ばす。そして、かれが迷いながらも伸ばし返してくれた手を引いて抱き寄せた。
「わっ!ぎ、ギーマさん!?」
「──ろう?」
「え?」
「……ここに、いてくれるんだろう?」
「!」
わたしの上に倒れ込んだトウヤの肩に顔を埋めながら呟く。こうでもしないと顔から火が出て死んでしまいそうだった。
トウヤの腕がもぞもぞと動いてわたしの背に回される。そしてそのままぎゅっと抱きしめられた。途端、恐ろしいほどの多幸感に心臓が掴まれたような感覚がした。ああ、これはだめだ。生きがいに、なってしまう。
「……ね、ギーマさん」
「うん?」
そっとくっついていた身体を離して、トウヤがこちらに顔を寄せる。その頬が、自分と同じくらい赤くなっていることに気づいて、思わず可愛いなと口にしかけてぐっとこらえた。そんなわたしの目を見つめていたかれが、決心したようにゆっくりと口を開く。
「きす、していい?」
赤い顔をしながら、精一杯こちらを見つめてそう言うかれに、心の庇護欲かなにかが撃ち抜かれるのを感じつつ、それでもわたしは首を横に振った。
「だめだ」
明らかにしょぼくれた顔をしながら「そっか……」と俯くかれに「風邪がうつるだろう」と言うと、パッと顔を上げる。その顔にはありありと「治ったらいいってこと?」と書かれていて、そのあまりのわかりやすさに笑ってしまった。
「きみが、看病してくれるんだろう?」
「うん!」
あっそうだ、お薬!とあわてながら、それでもゆっくりわたしを抱き起こすかれの背にそっと手を回す。
かわいそうな子。わたしが何の使い手か知っていて、無様を晒してもこの手を取った優しい子。もう、手離すことはしてやれないが。
「よいしょ。大丈夫?座れる?」
そんなわたしの心の内など露知らないかれが、こちらを心配そうに覗き込む。ああ、とひとつ頷いてその頬に軽く口付けた。
「!なっ、え、」
「ふふ、続きは治ったらだ」
「っう、うん……」
顔が赤くなりすぎてダルマッカみたいになってしまったトウヤに、少しからかいすぎたかと思いながら大人しくベッドの背に置かれた枕の上に自分の背を預ける。かれがくれた薬と水を飲めば、よほど水が足りていなかったのかやけに美味しかった。そうしてもう一度横になると、さすがに身体が限界であっという間に睡魔がやってきた。暗くなる意識の中で、ベッド先のトウヤの手を握れば優しく握り返されたそれに、いつになく穏やかな心地で目を閉じた。
後日談
「……おはよう」
「ん……、おはよう!ギーマさん」
「ずっと握っていてくれたのかい?」
「え、だって離すとギーマさんの手が、ぼくのこと探してたから……」
「……」