第4話

「それでどうなったんですか!」
「まあ待ちや、カズマサ」
「クラウドさんだって気になるでしょ」
「そりゃそうやけどな」
隣で軽食のパンから欠片がこぼれるのにも気付かず目をキラキラさせている同僚にツッコミをいれたが、自分も書類を仕分けていた手がいつの間にか完全に止まっていた。仕方がないので諦めてコーヒーを持つ。
バトルサブウェイに3人いるボスのひとりである#なまえ#が、昼休憩に行った後ライブキャスターでよこした「バトルを申し込まれたので受ける。業務開始には間に合わせる」といった旨の連絡は、珍しくはあるが異例というほどのことではなかった。けれど業務に戻ってきた彼女の顔に浮かぶ、わかりづらいが日頃顔を合わせる人間には丸わかりな充足感と、抑えきれないと言わんばかりの高揚感は、鉄道員たちをマメパトみたいな顔にしてしまった。
そこには彼女のふたりの兄も含まれていたが、まあそれはそれ。
「うん。それで、最後に立っていたのは───わたしのオノノクスだった」
「そうかあ!」
「くーっ、そうなったかあ」
「見たかったなあ!」
「オレモレシラムト戦イタイ」
「わかるわかる」
どっと一気に湧き上がる事務室。もはや誰もが業務後の休憩や雑事や帰り支度をほっぽり出して聞き耳を立てていたことは明らかだった。まあええか、仕事は済んどるしと思いつつ、最終点検のためにここにいない数人の鉄道員と残りふたりのボスに、おいしい思いしてすまんなと心の中で謝っておく。
「それで、またバトルサブウェイでも勝負しようって話して帰ってきたの」
業務で鉄道員たちを前に連絡をしたりすることはあれど、自分の話を大勢の前で聞かせることは不慣れなのだろう、#なまえ#が少しはにかみながら話を締めくくった。それにうんうんと頷く鉄道員たちがめいめいに席を立ち、わらわらと鞄やジャケットを手にとったり書類やマグカップを片付け、いい話を聞いたと言わんばかりに#なまえ#に礼を言って帰っていく。シキジカの群れが通り過ぎるようにして鉄道員たちが帰路に着いたあと、残ったのはマイペースにパンを頬張るカズマサと自分と#なまえ#だけ。
「それで今日の午後はトリプルトレインの乗客数が多かったんですね」
「うん。おそらくね」
「わかるなあ。ぼくだってそんなバトル見たら挑戦したくなっちゃいますもん」
「せやな」
こりゃあの少年も相当な数のトレーナーに捕まったやろうな、と少しだけ憐憫にも似た労りの気持ちがトウヤへと湧く。実際イッシュの英雄の名に不足ない実力を持ちながら飾らないその性格によって、トウヤはイッシュ地方の至るところで人気を得ていた。あんな若い歳でようできたもんや。トウコと一緒にバトルサブウェイのコンコースを孵化厳選場所にするのはいただけないが。
そんなことをつらつらと考えている横で、余韻が冷めないカズマサと#なまえ#がまた件のポケモン勝負の話に花を咲かせていた。
「トウヤくんの技は多彩ですよねえ」
「そうだね。なによりすごいのは、やっぱりコンビネーションと判断力。いつだってポケモンたちが全力をだせるように戦うって本当にすごいことだと思うの」
「そうですね。目に浮かびますよ」
「うん。だからトウヤくんとのバトルはすごくわくわくする。ずっと進化を続けていくポケモンみたいなの。まるで──」
「それは興味深い話ですね」
「うん、たしかにトウヤはすごいトレーナー」
「「「!」」」
ぜったいれいどを浴びたような心地がして思わず身構えてしまった。見れば、自分たちのすぐそばに白と黒の長身がふたつ音もなく立っていた。その表情の読めなさはバトルサブウェイでも折り紙つきだが、長年の付き合いでわかるものがある。まあご機嫌ナナメや。生憎というかなんというか、#なまえ#はふたりの兄が何にピリピリしているか恐らくわかっていないし、カズマサに至っては「あ、ボス。お疲れ様です」なんてにこにこしとる。正直自分もそちら側に行きたい。
しかもほぼ確実に、帰宅中の鉄道員たちの談笑によって、#なまえ#とトウヤが休憩中に繰り広げたバトルがいかに凄まじく面白いものだったかを、この双子は耳にしているはずで。いたたまれずに、何かしら話をしようとした自分を、白いボスのほうが遮った。
「#なまえ#、トウヤとのバトルは楽しかった?」
「うん。レシラムと戦うなんてはじめてだったし、とても楽しかったよ」
「それはなによりです」
#なまえ#の答えは、会話の綱渡りを目隠しでしたにしては上出来のものだったが、かと言って双子の機嫌が直った訳でもない。まあこの二人も子どもではないし、そこまで心配せんでもとは思うが、しかしこと#なまえ#の事になると、いかんせんそうも言い切れないのがこの兄弟である。
「あー、カズマサ。そういや明日からやるイベントの必要書類、資料室にあったんと違うか?」
「あ!そうでした!」
わたわたと席を立つカズマサに目をやりつつ、自分も手元の資料整理を再開する。ドアを開けたかと思えば、案の定資料室と真逆の方向に曲がったカズマサを見た#なまえ#が、そっちじゃないよと自然にその後を追ってドアをくぐったのを見送り、我らがボスに顔を向けた。
「……」
「……」
心なしか、二人ともバツの悪そうな雰囲気をしている。目線を右と左に逸らしていた。
はあ、とでかいため息をひとつ吐いて、まあ座りやと着席を促す。
「あんな。#なまえ#がバトル好きなんて今更やろ」
「だけど」
「ですが」
「……なにがそんなに気に触ってん」
「相手はあの方とレシラムです」
「ぼくたちでも、バトルしたことない」
「だから『特別』かもしれんて?」
「……うん」
「……はい」
「逆やったらどないや。#なまえ#のことも信じたり」
「信じています」
「だけどぼくら」
「「『特別』はさんにんがいい」」
あまりにも強いその執着に、一瞬眩暈がした。まあ、そうやろうなと頭の中の冷静な自分がため息を吐いている。地下という空間がそうさせるのか、この兄妹はどこか閉鎖的で重なり合っている。だが、その『特別』はなにもこの二人からだけのものじゃ──
「ただいま」
「いやあ、相変わらず資料室って複雑ですね」
ボスがいなきゃ遭難してました、なんて呑気に笑うカズマサと、その後ろで苦笑する#なまえ#が執務室に戻ってきた。#なまえ#は兄達の雰囲気に先程までの険がないのを見てとったのだろう、少しホッとしたように自席に向かい、帰り支度を始めた。双子たちも各々の席に向かいだしたので、自分も書類を少し選り分けてから鞄を手に取る。
「ほな、おつかれさん」
「あ!待ってくださいよクラウドさん」
さすがに家にはちゃんと帰りたいのだろうカズマサが、バタバタと鞄に荷物を詰めるのを尻目に、三人のボスたちに軽く会釈をして執務室のドアを目指す。
「おつかれさまです、クラウド」
「おつかれ、クラウド」
「おつかれさま、クラウド」
声が一斉に重なって少し脳がバグるが、もう慣れたことだ。おつかれさまですー!と振り向きながら元気に告げて早足でやってくるカズマサに、兄妹たちがまた律儀に返事をするのを聞きつつドアをくぐる。まったく、厄介なことにならんといいんやが。廊下の電灯がちらつくのを眺めて歩きながら、誰へともなく独りごちた。


 … … …


「すごい一日だったなあ」
ウルガモスのふわふわした背中に乗って宵の空を飛びながら、今日あったことを思い返す。
広場で#なまえ#さんとしたバトルは今でも胸が震えるほど楽しかったし、その後観客をしていたトレーナーさんたちとの連戦だってとても面白かった。たくさん戦ったレシラムが、珍しくボールの中でおとなしくしているくらいの心地良い疲労感と達成感だ。
ウルガモスのそんなぼくらを労わるような優しく安定した羽ばたきに合わせて軽く伸びをした時、頭上から声が降ってきた。
「やあ、トウヤ」
「わ!」
驚いて見上げれば、ドンカラスに優雅に腰掛けてぼくらを上空から眺める空色の瞳と目が合う。
「ギーマさん!」
「いま帰りかい」
そのままスイと氷上を滑るようにしてドンカラスがウルガモスの隣に降下してきた。その背でギーマさんが見せてくれた微笑みが、いつものポーカーフェイスより少し優しく感じられて、うん、と返事をしながら自分の頬が溶けたみたいに緩むのを感じた。
「なら、少し寄っていくかい?」
今日は『隠れ家』の気分だ、とギーマさんが眼下のライモンシティの片隅を見やる。半月ぶりに一緒にいられそうなことへの期待に、ぶわりと体が高揚して大きく頷けば、ドンカラスがゆっくりと高度を下げだした。その後を追うようにウルガモスに頼んで、向かったのはライモンシティの路地にあるとある喫茶店。
入り口からはそれとはわかりにくい場所にあるそこは、小さい店ながら洗練されていて、ゆったりとした内装と音楽、そして柔らかな紅茶の香りに包まれているギーマさんのお気に入りの場所の一つ。ここに誘ってもらうのは、ギーマさんの心の大事な部分に少し踏み入らせてもらえたようで、胸がきゅっとする。
しっとりとした艶を放つ一枚板のカウンターに、いつ見ても素敵だなあなんて目を奪われている間に、マスターに目配せをしたギーマさんが、返ってきた軽い会釈を読み取って奥のボックス席にいざなってくれた。
そのまま、ギーマさんが今の気分に合わせて紅茶を選んだ向かいで、同じのがいいとオーダーした。ゆったりと木と革張りのソファに身を預けたギーマさんの、チョロネコのような柔らかい瞳がスッと細められる。
「今日の勝負は楽しかったかい?」
「!うん」
見てたの?と聞くと、ギーマさんは首を横に振った。
「伝手から聞いただけさ。イッシュの英雄と灰色のサブウェイマスターの対戦があったとね」
「へへ。うん、#なまえ#さんっていうんだ。とっても楽しかった」
「そうか」
レシラムと戦いたいって言ってくれて3回勝負をしたんだ、エルフーンがすごく強くて、とぼくがバトルの思い出を話すのを、ギーマさんは興味深げに微笑みながら聞いてくれた。
「そうだ。ギーマさんともバトルサブウェイに行ってみたいな」
「ふうん」
ちらりと、ギーマさんの雰囲気が変わったような気がした。どうしたのか聞こうとしたところで、紅茶とクッキーが運ばれてきたので、会話を止めてお互いに温かいカップに口をつける。ぼくが添えられたクッキーに手を伸ばそうとしていると、ギーマさんが口を開いた。
「トウヤ」
「?うん」
「彼女はきみの憧れかい」
至って静かで穏やかで、けれどどこか鋭い口調で問われたその内容に、少し当惑しながら、それでもできるだけ率直に答える。
「うん、そうだと思う」
「なるほど」
ぼくが答えるまでの一瞬のうちにその表情と声は自然なものに戻っていた。けれどその答えに首肯したギーマさんの雰囲気に、僅かな違和感を感じて首を傾げる。
「ギーマさん?」
「いや、きみがそれほど楽しめる勝負相手ができたのはいいことだ。ただ──」
「?」
ぱちりと目が合う。ギーマさんが僅かに目を見開いて、直ぐになんでもなかったかのように微笑んで紅茶を口へと運んだ。
「なんでもないぜ」
「あ!また何か隠したでしょ」
「いいや?」
「ちゃんと言ってくれなきゃわからないよ」
「言うさ。言うべき時が来たらな」
そう言ってティーカップを傾けるギーマさんは、もう今それ以上何かを告げるつもりはないようだった。ギーマさんの秘密主義な言動はいつものことなので、いつか話してくれたらいいなあと思いながら、同じように温かい紅茶を口にする。そうしている内に、ギーマさんと話したかった心は、すぐ次の話題を思いついて口へと上らせていく。ギーマさんはそれを音楽に耳を傾けるみたいに笑みを浮かべて聞きながら、時々ぼくを見遣って相槌を打ってくれた。
そうしてふたりで過ごすひとときは、ギーマさんのライブキャスターにポケモンリーグからの招集がはいるまでの2時間、ゆったりと過ぎていった。