「ギーマさん?」
深夜、喉が渇いて階下へと向かったトウヤは、廊下に漏れるリビングの灯りに、そっと扉を開いて顔を覗かせた。
暗いテレビの向かい側、こちらに背を向けたソファに腰掛けているギーマは、声が届いているだろうに何も返さない。
ただ、ピン、ピンと彼の馴染み深いコインを弾いているだけだった。
「寝ないの?」
ドアを開いた時よりももっと繊細に、トウヤは声をかける。ギーマから近くも遠くもない場所でくつろいでいるレパルダスを見れば、なんでもないように脚にあごをのせて目を閉じている。
その雰囲気を確認しながら、ゆっくりとトウヤはギーマに近づく。
ソファの隣まで来る。視界に入ったギーマの顔は、驚くほど無表情で、何を考えているかわからない。ただ宙を舞うコインの硬質で一定の音だけが、深い海に沈む彼の唯一の綱のように響いていた。
パシリ。
唐突に、音が途切れる。
コインは、ギーマの手の内ではなく、手の甲と手のひらの間に捉えられていた。
「……うら」
意図をなんとなく読みとったトウヤが答える。
ゆっくりと退けられる手の下から見えたコインは、表だった。
「……外れちゃった」
「……。そうだな」
「じゃあ、ギーマさんの勝ちだね」
トウヤがそう言えば、ギーマの顔がこちらを向く。それはどこか驚いたような目をしていた。そのまま、何かを確かめるように、空色の瞳がじっとトウヤを見つめ、静かな沈黙の後、ぱちりと瞬いた。
「そうだな」
まるで、何事もなかったかのように、ギーマはにやりと笑ってソファから立ち上がった。そしてそのまま、スタスタとトウヤの目の前にやってきて、少し前屈みになったかと思えば、柔らかい感触を頬に感じてトウヤの体はぴしりと固まった。
続けて、さも当然と言うように至近距離で差し出された白い頬にトウヤの顔が燃えるように赤くなった。戸惑っていれば、ギーマの口角がさらに上がる気配がする。
「勝利のごほうびだ。ダメかい?」
「えっ!や、ダメじゃ、ない……けど」
いいのだろうかと茹る頭で見つめたギーマの目が、挑発的な弧を描いて、トウヤの頭は完全に白旗をあげた。
そっと近づき、震える手をギーマの肩に添えて顔を寄せる。唇に柔い頬が触れた瞬間、弾かれたように体を離せば、それはするりと伸びてきた手に阻まれてしまった。そのまま思いの外強い力で引き寄せられ、腕の中に閉じ込められる。
「ぎ、ギーマさん?」
「ふふふ」
何が面白いのか、喉を震わせて笑う揺れが頭上から伝わる。しばらくして、腕がぱっと離れたかと思えば「おやすみ、良い夢を」と言い残して、ギーマはリビングのドアの向こうに消えていった。
取り残されたのは、まるで夢でも見ていたかのようにぽかんと立ち尽くすトウヤ。その後ろでレパルダスが大きくあくびをして、夜はただ更けていった。